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鉱物スノードーム「おじいちゃんの橇」

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鉱物スノードーム「おじいちゃんの橇」

鉱物・ブラジル産リチア電気石(Aracuai,Minas Gerais,Brazil)

恰幅のよい初老の男性が、孫の橇を引いて歩いていきます。
冷たい空気で頬が痛くても、会話がなくても、おじいちゃんの橇は、幸せなひと時。

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「ラストダンス」で使ったのと同じ産地のリチア電気石を使い、雪は建築模型用の白砂利を使ってみました。
撮影したのが夕刻なので、光があまり当たらず、この写真ではそれほどではないのですが、透過光で電気石も美しいきらめきを見せてくれます。
オイルのスノードームは、水晶や魚眼石などの無色の鉱物だと透けてしまいすぎて今一つ綺麗に見せるのが難しいですが、こういった色付きで少しくすんだくらいのものを入れると、とても美しく見えます。

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おじいさんと孫との距離があるので、二人が会話している様子はないですが、楽しい雰囲気が伝わってくるフィギュアは、プライザー社製のHOゲージ用です。

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振ってみたところ。
今回は固定しない鉱物などは入れていないので、粘度はそれほどあげていませんが、雪はゆっくりと舞いおります。



私がまだ3歳くらいの頃、同居していた私の父方の祖父(私の父は長男です)はまだ元気で足腰もしっかりしていて、農業を続けていました。
もとは国鉄の車掌だった人ですが、我が家はもともと古い農家で二足の草鞋だった(兼業になったのは祖父の代から)ので国鉄を退職=隠居という発想はなかったようです。

とても無口な人で、男は無駄口叩かず晴耕雨読、というような古き良き日本人そのものの祖父でした。
余りにも無口なので、小学校の宿題で「戦争の体験をお年寄りに聞こう」という宿題が出た折、どうしておじいちゃんは戦争のこと全然話さないの?語り継がなくてはいけないって先生が言ったよ、と私が聞いたら「小学生に聞かせられるような話はない」とだけ言われました。

後から祖母に聞いたところによると、祖父は陸軍衛生部隊として南方に行き、引き揚げ時に乗っていた艦が撃沈したにもかかわらず漂流して運よく救助され、帰還した直後に原爆の後処理のために広島に派遣されたとのこと。

よくぞ無事帰ってきてくれた、と思うと共に、それは・・・・と納得しました。
日教組の教師が何を言おうと、戦争とは祖父にとって、思想ではなくどこまでも現実でしかなかったということですね。

ちなみに、祖父は三男坊で、家を継ぐ予定はなかったのに長男が沖縄で玉砕したため、戦後に急遽跡をとることになり、継いだら継いだでGHQの農地解放で散々な目に合い、国が戦争中に徴用ということで我が家の土地に作った軍の建造物を取り壊す費用(500万程度)も持たないのにその土地分の税金を取られ続けたり、戦争に振り回されて生きた人なのですが、一度も愚痴や国に対する批判を言っているのを聞いたことはありません。
それでも、私が奉職した先の神社で戦没者慰霊祭の舞姫をすることになった、と報告した折には「・・・ありがとう、本当にありがとうな」と言って瞳を潤ませていて、祖父にはやはり、語らずともいろいろ思うところはあったのだと思います。


そんな祖父が、よく市場に向かうリヤカーに私を載せてくれました。

祖父の退職後の農業はのんびりとしたもので、自分たちで食べる分のほかには少量の野菜しか出荷しないので、リヤカーに載せてもまだ十分私が載る場所はあるのでした。
祖父の畑仕事が大きなお金になっているのかどうかと言えば…割にはあっていなかったでしょう。
けれど、実直で働き者の祖父にはだからと言って働かない、という選択肢はないのでした。

祖父はもちろん、道中いつも全く無言でした。
それでも私は祖父のリヤカーに乗って、家から徒歩10分の市場へ行くのが好きでした。
往復たったの20分、無言で行き来する道のりを、今でもぼんやり覚えています。

これぞ昭和のニッポン、という光景ですが、実際私は昭和52年生まれなので、ギリギリこういったことを都下で体験できた世代ではあります。
7つ年下の弟が生まれるころには市場もなくなってしまいましたし、農地はほとんどベッドタウンになり、田んぼは壊滅して団地になりました。

中学生になるころには、私は自分が「農家の子」ということが恥ずかしくなってしまい、土にまみれて生きている祖父母とも、あまり交流しなくなってしまいます。
私が生まれてから祖父が亡くなるまでずっと、長く同居したというのに、就職してからは糖尿病から腎臓を患って入院していた祖父の病院すら、自宅から10分程度の距離だったのに二週間に一度見舞いに行けばよい方…本当に薄情だったと思うのですが、老いて私の名前もわからない祖父に、どう接していいのか、さっぱりわからずじりじりと距離をとってしまったことが、今でも悔やまれます。

大人になった今は勿論、無口で真面目で正直な祖父も、元農家の自分の実家も誇りに思えるのですが、そう思えるころには祖父は亡くなってしまっているという、なんともありがちな展開。

祖父のリヤカー。
ものすごく楽しかった!とかドキドキワクワクした!!血沸き肉躍った!!という記憶ではないのですが、時折ふと思い出します。
「・・・行くか?」
道中無言でも、一日に一度必ずそう声をかけることが、祖父の何よりの愛情だったのだと、今ははっきりわかります。

あのころの無垢さで、祖父ともう一度会えたなら。

祖父と孫との橇遊びを見て、そんなことを考えてしまうのはやはり、病み上がりで少し感傷的になっている証拠なのかもしれません。


―――

ご心配ご迷惑をおかけしましたが、今夜になってようやく子供らも全快し、私も何とか回復しつつあります。
明日からはまた、通常通りの更新となります。どうぞよろしくお願いいたします。



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by zabiena | 2013-09-24 21:26 | スノードーム